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国交正常化と日本の援助の開始
結核のまん延が世界的にも最高位の国(推定罹患率人口10万対600前後)であったカンボジアでは、1990年代になり、政府による結核対策への取り組みが強化され、1994年からは世界保健機関(World Health Organization: WHO)の指導の下、病院における短期化学療法による直接服薬支援(directly observed treatment, short course: DOTS)の導入が図られ始めた。日本との国交も回復し、1990年初頭より日本からの援助も開始された。国際協力機構(Japan International Cooperation Agency: JICA)による結核対策の支援の動きも起こり、1992年、結核研究所の森亨所長の調査団を皮切りに、結核ラボへの専門家派遣、結核対策プロジェクトの準備が始められた。私も1998年に事前協議団団長として結核プロジェクト開始に向けた準備に関わることになった。詳細は省くが、印象に残る事柄を述べよう。
カンボジア側の代表は、マン・ブンヘン保健省局長(Dr. Mam Bunheng*1)で、彼は丸顔が印象的な、英語も上手な品のいい方であった。当時、世界的な保健政策のキーワードはヘルスセクターリフォーム(health sector reform: HSR)といって、保健分野の総合的な変革を迫るもので、結核対策のような個別疾患対策へのてこ入れには消極的な考えと思われた。このとき、私は協議の終わりに、マン・ブンヘン氏に質問をした。「今、HSRが叫ばれている中で、結核という個別疾患対策への支援を日本に要請されるのはどうしてですか?」彼は即座に答えた。「結核は、この国の最優先課題なのです。」世界の保健政策の潮流の中で、この国の保健省のトップが自信を持って語ったこの言葉に、私は日本を代表する者として安心感を覚えた。協議の議事録に署名を交わし、やや緊張した会議が終わって、周囲の雰囲気が和らいだ。その後驚いたことに、会議室にシャンパンのグラスが運び込まれ、出席者全員によるシャンパンの乾杯が交わされたのであった。フランス植民地時代の伝統なのか、どの国でも経験したことがなかった。

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