連載 Go to the people——バングラデシュと共に歩んだ私の国際保健50年
第三編
石川 信克
1,2
1公益財団法人結核予防会
2結核予防会結核研究所
pp.945-948
発行日 2023年9月15日
Published Date 2023/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401210137
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山の上の町タンセンへ岩村昇先生を訪問
ネパールの発掘現場で住民への診療を通し新米の医者でも「何かができる」と自信を得たが、肉体的疲労も加わり、それは次第に絶望感へと変わっていった。「社会が良くなり、人々の暮らしが変わらねば、個人の医療行為など焼け石に水だ」。このような国で働こうというひそかな願いは、日本で好きな精神科か心療内科をやるかなという思いに傾いていった。
発掘が一段落し、発掘隊に同行していた写真家のK氏と私は現地で自由放免となった。私たちはそこから山の上の町タンセンに岩村昇医師を訪ねた。といっても2日がかりの道程である。発掘現場のタウリハワから、まず牛車でのんびり数時間行き、丘陵地帯に入る境の町ブトワールで一泊。キリスト教ミッションが作った技術訓練校(Butwal Technical Institute)のゲストハウスに泊めてもらった。翌朝、スーツケースを運ぶポーターを雇って、7時に歩き出して、山道を登って夜7時にようやく山の上の町タンセンにたどり着いた。突然の来訪者を、岩村史子夫人は、「よくいらっしゃいましたね」と優しく迎えてくださった。岩村先生は、鳥取大学医学部衛生学教室の助教授であったが、それを捨て、5年前から日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から派遣され、タンセンのミッション病院を軸に公衆衛生や結核対策の仕事をされていた。私にとっては未知の分野であった。
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