公衆衛生 37巻11号 (1973年11月)

特集 公衆衛生教育

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 筆者は,1973年3月26〜30日の間,コンゴ人民共和国ブラザビルに開催されたWHO主催第4回アフリカ・東地中海・東南アジア・西太平洋4地域内公衆衛生学校校長または代表者会議に出席,その後4月25日〜5月1日には,ゼネバのWHO本部で,1960年に一応の決定を見た「公衆衛生学校に対する勧告必要条件」(WHO, TRS 216, Recommended Requirements for Schools of Public Health, 1961)の改訂会議が計画されて,これにも出席の機会を得たので,これら両会議で討議された処を中心として,最近各国で重要視されている公衆衛生関係職員の系統的教育あるいは訓練の動向について,簡単ながら要点を述べて見たい.

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 医学教育の中での公衆衛生教育となると,改革が叫ばれているがなかなか実現されていない現在の医学教育にふれなければならない.そしてその中で公衆衛生教育がどのようにとりあげられてきたかを考えてみよう.

 現在の日本の医学教育の目標,教授内容,教授方法が変わってくれば,当然その中での公衆衛生教育も変わってくるであろう.実は公衆衛生教育は公衆衛生活動と密接な関係を持つので,活動の対象となる社会の変化とともに教育目標,教育内容そのものが変化するものと私は考えている.それ故に各国の医科大学における公衆衛生教育も国により,時代により目標,内容ともに異なっている1)〜4)

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 今日,世界的にみて公衆衛生活動は,社会・経済・政治の激しい変化のなかでそのあり方を問われている.これは公衆衛生従事者の教育訓練にもそのまま反映し,国によってさまざまの新しい試みが導入され,あるいは経済発展段階の相違などによって,変則的な形の採用もみられる.一般に公衆衛生従事者の教育訓練については,undergraduateとpostgraduateのレベルが区分されるが,今世紀初頭以来のSchool of Public Health(Sch. P. H.)の発展に示されるpostgraduateの系統的な公衆衛生の教育訓練システムも,今日ではとくに社会主義諸国等ではかなり形が変っており,一義的にSch. P. H. として論議することが適当であるか否か,を考えねばならないような実情にあるといえる.

 アメリカ合衆国は,フォーマルなSch. P. H. を最初に創り出し,また今日においてもその原型がますます発展せしめられている国である.日本もこの点については,1938年ロックフェラー財団の援助によって公衆衛生院が設立されて以来,アメリカ的なパターンをとり入れ,とくに戦後はアメリカの影響は教育制度全般について一段と大きくなった.さらに1960年代以降の社会・経済の激動のなかで,国民保健についても,アメリカのそれと同質の問題が少なからずみられるといってよい.

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 フランス共和国において公衆衛生医師(Medecin de la sante publique)という用語が公式に特定の意味を持って用いられはじめたのは1964年からである.しかし今年の3月に政令が改正され,9年間親しんできた公衆衛生医師という言葉は法律用語としては消失し,それ以前使われていた保健監督医官(Medecin inspecteur de la sante)という言葉にとって代られた.

 本稿の目的はフランスにおける公衆衛生医師の教育制度について述べることにあるが,わが国にフランスの公衆衛生事情があまり紹介されていない事実を考慮し,まずフランスの最近における公衆衛生医師組織の再編成の動向を概説し,そのあとで公衆衛生医師の専門教育制度について記すことにする.なお冒頭に述べたようにフランスでは過去9年間(1964〜1973年)公衆衛生医師という言葉が法律上使用されていたが,現在では保健監督医官という言葉にとって代られた.便宜上本稿ではとくに区別を必要としない場合は,以後公衆衛生医師という言葉を用いて,すべてを表わすことにしたい.

ブリストル大学留学記 小野寺 伸夫
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 1970年10月より1971年6月まで英国ブリストル大学のDiploma in Public Health(以降D. P. H. と略す)コースにWHOフェローとして出席したので,それらを中心に英国における公衆衛生医師教育の概況について記述したい.

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 わが国の公衆衛生学徒としてフランスに留学した例は今までにもあまりないようである.私が知りうる範囲内でこれらの諸先輩の御名前を挙げてみると,阪大の梶原三郎名譽教授,大阪府立公衛研の万代敬三博士,東京都の岡部宗雄新宿保健所長,それに故人となられた広川太刀雄博士ぐらいであろうか.これは過去におけるわが国の医学部での外国語教育そして近代公衆衛生の発展の歴史を考えれば,もっともなことである.

 しかしフランス語か英語と並んでWHOなどの国際機関で共通語として使用されていることと,わが国がこれから国際保健の分野で果たしていくであろう役割を考えた場合,われわれの仲間の中にフランス(そしてフランス語圏諸国)の公衆衛生に関心を持つ者が1人や2人いても決しておかしくないはずである.この意味で私は1970年10月から1年間フランスの国立公衆衛生学校へ留学したことが,短かい期間ではあったが,それなりに貴重な経験であったと思っている.

トロント大学留学記 釘本 完
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 筆者がトロント大学に滞在していたのは1968年から1969年にかけての1年であるから,現在ではすでに状況も大分変ってきていることと思う.

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 「公衆衛生」編集室からの依頼ではテーマがアメリカの公衆衛生教育となっておりますが,私はJohns HopkinsのSchool of Hygiene and Public Healthに学んだだけですのでHopkinsにおける経験に限って書くことにしたいと思います.

発言あり

運動不足 K , A , Y , M , H
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スポーツを生活の中に組みこもう

 最近,運動不足による健康障害ということが問題になっている.一方,レジャー・ブームにのって,ゴルフを中心とするスポーツが,老若男女の間に熱病のように流行しているし,体力づくりのためと称するスポーツ施設が,雨後のたけのこのように姿を見せ始めた.スポーツがある目的を達するための手段に用いられることは,過去の歴史は勿論,現在でも明白な事実であるが,現在の特徴はその為に多大な費用を要するし,またそれが企業として成り立つという点である.高度経済成長への努力の結果が運動不足を引きおこし,それを解消するために多大な費用と努力を要し,それがまた企業を発展させるという,現代の笑えない喜劇であろう.

 ひるがえって公衆衛生活動をみるに「公衆衛生とは」との問いに,ほとんどの人は「……健康を保持,増進し……」と答えるだろう.

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 近年,保健医療の分野においても,自動化機器やcomputerの利用によって,業務の効率化,集中化,自動化がすすめられており,検診システムとして,Automated Multiphasic Health Testing(AMHT)のようなシステムも取り入れられつつある.岐阜県立健康管理院においても,本システムが取り入れられ,昭和48年4月より運転を始めた.われわれは,1年前より,このシステムの運用や活用方法について検討中であるが,このようなシステムの導入には,それなりの意義と同時に,今後に残された問題も多いと思われるので,その一端について述べてみたい.

地域保健と保健所の役割 吉田 憲明
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 地区または地域社会とはきわめて曖昧な言葉であるが,一応住民の社会的結びつきの場と考え,その場の統合連体観をコミュニティと理解し,活動の場を地区または地域社会と定義したい.具体的に著者の対象とするところは,札幌市のそれぞれの7区の行政区を考え,対象人口は10万から20万人と見做している.

 この行政区にはもちろん区役所がそれぞれ設置され,同時に地区保健衛生に係る役所として,保健所が配備されているわけである.

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 今日循環器疾患対策の1つとして,血圧の測定を中心とした集団検診が普及してきた.そしてこの際通常,随時尿の尿糖検査をあわせて実施するのであるが,著者らの経験では,尿糖陽性者の大半がそのまま放置されてしまう現状である.一方,糖尿病に関する知見は近年急速に進展し,人口の老齢化と生活条件の変化にともなって有病率の増加傾向が指摘されている1)2).よって筆者らは今少し系統的な検診によって,糖尿病の有病状況を明らかにしたいと考え,今回の検診を実施した.

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 地研全国協議会の名簿をめくると,昭和48年5月現在,地方衛生研究所に類する施設が62カ所ある.その規模,内容をみると東京都,大阪府,大阪市など優に一流大学の附属研究所に比肩しうるものから,研究所とは名ばかりの,自治体の検査機関にすぎないものまでその格差は大きい.私どもの北九州市衛生研究所のランクは,どの位になるか? このことは一応棚上げにして,その実情を紹介する.

私たちの保健所・40 函館市立函館保健所

試験検査が行政の基本 重野 謙次
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沿革と25年のあゆみ

 昭和23年政令市保健所として発足爾来所長として(市衛生部長兼務)現在に至っている.したがって保健所のあゆみは小生と共に長年にわたり働かれた職員の歴史でもある.

 昭和31年 全国保健所長会の要望により保健所長が医師国家試験委員に加えられることになり最初の委員となって提出した公衆衛生試験問題が選ばれて当時のインターン生を脳ましたか喜ばしたかわからぬが採点には苦労した.

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 わが医師会が契約書の形式で川崎市との間に予防接種の委託契約を結んだのは昭和39年であった.茲後,現在にいたるまで,川崎市にすむ小児の予防接種を実施するにあたって,実際に手をくだしておこなうのはわれわれ医師会員をおいてはないとの自覚と使命感によって,行政としての予防接種が恙なくおこなわれていたが,ある一つの事故--あたかも予防接種と関係あるがごとくに報道された--を契機としてつよく反省がせまられ,会員の熱心な討議の末に個別接種方式が導入されたのが昭和45年11月である.

 個別方式の導入に至る背景となった思想は,予防接種において求むべきは,安全性の確立と医師会としての能力範囲を定めることであり,さらに強制集合接種と私接種との経済的格差の撤廃をはかるべきであるとする考え方であった.危険な伝染病を防遏するための予防接種が,かえって被接種者の生命や健康を脅かすようなことが多発するならば本末転倒もになはだしい.安全性の追求を第一義に考えるべきことは当然である.又行政上の事業である予防接種全般にわたって委託をうけ,その全部を肩代りするの愚はさけて,あくまでも医師会としての能力範囲を逸脱してはならない.さらに法律で定められた接種をうけるに際して,接種場所による経済的負担の格差は市民の側からみれば希ましいことではない.

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 沖繩県は医師や看護婦および医療施設が全国平均1/2のしかない.反面,国保等健保および老人医療費公費負担制度の適用以来,受診率は急増し,医療担当者は医療需要に対応できなくなってきた.特に人口30万人を擁する那覇市内では,那覇地区医師会(県医師会の下部組織で会員約200人)が従来自主的に実施してきた夜間当番医制に参加可能な会員が減少し,また,それに代るべき公的医療機関もない事から,夜間無医地区状態になる事が多くなり社会問題となった.そのため,県,市医師会及び那覇地区医師会四者では半年に近い日時をかけて種々対策を検討した結果,「公設民営」方式による急病センターを開設する事を計画,見事それが実現し,去る6月1日,30万市民いや全県民注視のうちにスタートした.県と那覇市が施設設備を整備し,那覇地区医師会がその運営を引受けるというものであるが,看護婦等職員はすべて県(大部分)と市が確保し,センターがパートで雇用,運営上の赤字分については県と市が負担するというものである.

 施設設備は那覇病院(県立)の一部を整備して無料貸与し医師会から内科小児科,外科,産婦人科の4人の医師が夕方7時30分から翌朝8時まで勤務する.

基本情報

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公衆衛生
37巻11号 (1973年11月)
電子版ISSN:1882-1170 印刷版ISSN:0368-5187 医学書院

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