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診療所訪問
新しいイメージのクリニック作り—新赤坂クリニック・松木康夫院長を訪ねて
編集室
pp.416-417
発行日 1974年3月10日
Published Date 1974/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402205367
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- Abstract 文献概要
医局長に立候補した頃
--先生は昭和33年慶応のご卒業でいらっしゃいますね。慶応時代に医局長に立候補されたと伺ってますが,その頃の事情をお聞かせください.
松木 当時は教授陣が保守的で,人事の問題にしても今では考えられないように独裁的でした.教授に行けといわれれば,どんな不満なところでも薄給で働かなければならない.その頃,ボクも若かったし,医局をよくしようと思った.民主的にしかも教授の権威を落とさないで,いい方向に持っていきたかった.で,発言の場をもつために医局長になろうと……当時1はすべて教授の出した候補が医局長に決まっていたんですが,そにに初あてボクが立候補したわけです.ところが,教授陣がそれを極度に警戒したわけです。そ重して教授が出した候補とせり合って,とにかく選挙ではボクが勝った.というの1はみんなの意向がそういう波に乗っていたわけですね.ところが,教授はそれを拒否してボクが外の病院に出たわけです.ボクはそこで1年間外に出て,また帰ってきて再挑戦したわけです.当時,国際学会があってほとんど外国に出ていて,選挙の1週間前に帰ってきて,なんの用意もなかったんですが,またボクが勝ってしまった.ところが,その2回目も教授陣がひっくり返してしまいました.しかし,それが教授陣の最後の抵抗だったんです.
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