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私と夫である鄭暁東先生は,親の大反対を押し切っての“駆け落ち婚”でした。当時私は愛媛大学から車で1時間ほどの愛媛県立今治病院に1人常勤で,あまり眼科経験もなく手術もろくにできない状態でした。鄭先生は中国からのはじめての留学生で,26歳にして中国医科大学大学院を飛び級で卒業,学位も取っての来日で,大学院生だったとはいえ患者が多いせいか臨床経験を羨ましいくらい積んでおり,私は多くの症例を相談するようになりました。その引き換えではないですが,今治病院の勤務を終えた後は大学に駆けつけ,鄭先生が当時取り組んでいたウサギを使った前房関連性免疫偏位(ACAID)の実験を毎日手伝うようになりました。動物舎で,ああでもないこうでもないと,私の素朴な疑問やアイデアを真剣に聞いてくれて,必要とされることへの喜びで探求することに夢中になりました。夜中まで,ときには朝まで実験をして,そのうちゴキブリのいる彼の汚いアパートへ私が先に帰ってご飯を作り,翌朝は今治の病院へ居眠り運転をしながら山道を走り,丸一日働いてまた夜は大学で実験を…そんな日々を経て鄭先生が米国へ行くことになったとき,両親に一緒に行くことを切り出しました。私の実家は愛媛の四国カルストを頂く山奥の田舎で,父親は結婚するのに都会の人はダメというくらいの頭の硬さで,荒れ狂うほどの勢いで反対をし,私の結婚と米国へ行くことを止めるよう説得するために,いろんな知人を送り込んでくるほどでした。1年かけて父を説得しましたが許してもらうことはなく,ただ米国へ発つ日には,野村町から松山空港までの3時間の道のりを一言も話すことなく車で送ってくれました。最後に感謝を伝えたかった私を降ろすとすぐに走り去ってしまい,父の車を見送りながら“もう戻ることはないかもしれないな”と何もかも捨てて行くことを改めて自覚しました。
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