連載 ドライアイ外来最前線
私のドライアイ診療 ―南青山アイクリニック東京―
戸田 郁子
1
1南青山アイクリニック東京院長
pp.34-35
発行日 2020年4月30日
Published Date 2020/4/30
DOI https://doi.org/10.34449/J0042.15.01_0034-0035
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私のドライアイ診療とのかかわりは,慶應大学の専修医として東京歯科大学市川総合病院に赴任し,坪田一男先生(慶應義塾大学眼科教授)とお会いしたことに始まります。当時,ドライアイは乾性角結膜炎や涙液減少症などと呼ばれ,診断法や治療も限られていましたが,米国留学を機にドライアイ診療とその研究に傾倒されるようになった坪田先生のもと,私も研究テーマの一つとして取り組むようになりました。その後,疲れ目を訴える患者さんにドライアイの合併が多いこと,つまりドライアイでは「眼が乾く」だけでなく「目が疲れる」症状が多いことが明らかとなり,1993年に報告いたしました1)。そして,疲れ目を訴えるドライアイの患者さんのなかには,涙液分泌は正常であるのに,眼表面での涙液安定性の悪いタイプがあることに気付き,BUT短縮タイプとして1995年に報告しています2)。このように,疲れ目を訴える患者さんで眼表面に傷がなく,涙液分泌も問題ないのにBUTが短い一群があるという知見は,その後ドライアイの概念を変えていき,現在の定義と診断基準に繋がっていったと思います。ドライアイのメカニズムがわかってくるにつれ,治療方法の開発も徐々に進み,1995年に精製ヒアルロン酸ナトリウムが登場,その後は水分,ムチンなど眼表面の不足成分を補う視点での薬剤,マイボーム腺と油層に対する治療や米国の炎症を重視する治療も加わって,選択肢はずいぶん増えていきました。
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