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はじめに
20世紀末~21世紀初頭に起こったさまざまな医療事故スキャンダルの大々的なメディア報道によって,国民の医療への信頼が低下した。しかし,医療には不確実性があり,すべての医療事故(事故,という言葉を法律家たちは責任の所在を問わない,という意味を込めて使っている)が医療者に責任があるものではなく,その努力で防げるものではない。医療の不確実性を最も具現化している病態は脳性麻痺(cerebral palsy:CP)である。古くは,1862年英国の整形外科医Williams Littleは,「CPの原因は分娩中のストレスである」と科学的根拠が全くない時代に述べ,その考えは現在に至るまで一般人のみならず医療関係者の間にまで浸透し,児がCPと診断されると「分娩時にもっと良い方法はなかったのか?」と当該分娩機関に説明を求めることとなった。現在の科学ではCPの10%程度しか分娩時の低酸素は原因となっておらず,医療介入によって防ぐことは困難であることが知られている。しかし,医師賠償責任保険は医師自身が過失を認めないかぎり支払いはなく,保護者の経済的・身体的負担軽減策としては裁判により損害賠償を勝ち取るしかなかった。分娩時に胎児心拍数陣痛図(cardiotocogram:CTG)を装着すると,分娩第2期の1.4%しかCTG異常なしで生まれた症例はないという報告もある1)。CP発生の責任を問う訴訟が起こると,CTG異常を指摘され医師側の敗訴率は高く,産科における訴訟が頻発し,若い医師が産婦人科を選択しない,経験者が分娩取り扱いをやめる事例が続発した。このいわゆる産科の危機が日本で初めての無過失補償制度を脳性麻痺を対象に発足させる原動力となった。そのうえで,単に補償をするだけではなく,結果として脳性麻痺となった児の分娩の際に行われた医療の質を第三者が評価し,また,脳性麻痺児分娩の経過をまとめて医療現場に提言を行う,という「脳性麻痺児の家族を救済し,産科医療の質の向上に資する」ためのいわゆる「二兎を追う」制度として産科医療補償制度が2009年に発足したのである。
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