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筆者は先に本欄(72巻2号)において「若き俊秀の死」を著し,恕にして穆如清風の人,第2代京都大学整形外科教授尾崎良胤博士の3年間(1915年5月~1918年4月)の滞米生活について記した.“My Trip Through the United States” なる日記は,ボストンにおいて正式に整形外科を学ぶべく,Yale大学からHarvard大学に移動した日以降,Massachusetts総合病院(Dr. Brown),Boston小児病院(Dr. Sever,Dr. Lovett),Robert Brigham病院(Dr. Painter),Boston市立病院(Dr. Rogers)など,代表的な整形外科病院を歴訪した際の手術・処置・症例検討会などの見学記録である(図).日記に登場する医師はおそらく当時新進気鋭の方々であったと思われるが,Boston小児病院のDr. SeverがSever病に名を残した人であろうと推測された以外,思い当たらなかった.筆者の元同僚,森永敏博氏はわが国のリハビリテーション(リハ)草創期に米国から派遣された外国人教師による教育を受け,その後インディアナ大学大学院に進み,日本理学療法士協会日本代表も務めた人であるが,「Dr. Lovettは “徒手筋力検査法” を創案したとされる方ではないか」と関連資料を送ってこられた.筆者も昔,プラスチックリングで留められた独特の装丁になる,茶表紙の『徒手筋力検査法(第2版)』(Lucille Daniels, Marian Williams, Catherine Worthingham著,津山直一,東野修治共訳)を教材として用いたのは覚えているが,Dr. Lovettまでは思い至らなかった.
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