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若き俊秀の死
濵 弘道
1,2
1京都大学名誉教授
2奈良社会保険病院名誉院長
pp.196-196
発行日 2021年2月1日
Published Date 2021/2/1
DOI https://doi.org/10.15106/j_seikei72_196
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- 文献概要
1914年7月,ドイツ留学途上の京都大学外科助教授尾崎良胤は,折から勃発した第一次世界大戦のため,旧満州からやむなく帰国.留学先を米国東海岸,Yale大学(ニューヘブン),Harvard大学(ボストン)とし,翌1915年5月,海路ニューヘブンに落ち着いた.当時Yale大学にはまだ独立した整形外科教室はなかったが,彼にはかねて臨床教室運営の基本として教授自身が基礎医学の十分な知識を有し,かつ外科系では病理学,内科系では薬理学が必須であるとの思いがあった.Yale大学病理学教室Barlett教授は細菌病理学を専門とし,良胤の学位論文もアルコール消毒関連であったので,2年間の在籍中,研究は進捗し,単著論文2編,Barlett教授との共著論文2編が発表されている.英独語はもとより,仏伊語も露語も話せるなど,生来類稀な語学の才があり,客員講師として給与を与えられて学生に講義を行い,Barlett教授から病理学教室残留の要請を受けたという.
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