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ボストンでの留学経験からoffの過ごし方が身について帰国し,大学の病理学教室から心臓血管外科学教室に帰ってきました.当時,同研究室の先輩に,手術手技,考え方,患者さんへの接し方などすべての面で尊敬できる講師の中山陽城先生がおられ,「磯村,これから鮎釣りにいくけどついてこないか」と誘われ,二つ返事でOKし,宮崎県の日之影町の五ヶ瀬川に最初に連れていかれました.その当時鮎釣りをする方は少なく,まずコロガシ釣りで鮎(野鮎=囮鮎)を取って,それを囮鮎にしての友釣りでした.中山先生は子供のころからお父さんに鮎釣りを教えてもらっていた大ベテランで,面白いように鮎をかけており,手術と同じように凄いと感心しました.かけた野鮎を僕の囮鮎としてつけてくれて,手ほどきを受けた僕にも数匹かかり,そのかかり鮎の引きが何ともいえずスリリングで爽快でした.当時の研究室で一緒にいった3年後輩の先生とは,その後も休みを見つけて一緒に鮎釣りを楽しんでいました.その2年後に僕はトロントに留学し,臨床経験を積んで帰国後に中山先生と一緒に手術をすることを楽しみにしていました.しかしながら,1986年の帰国時に先生は悪性腫瘍の末期状態で,40歳台の若さで病床に伏しておられました.その後一度も手術も鮎釣りも一緒にすることなく他界されました.しかしながら中山先生の臨床に対する姿勢,手術のうまさ(おそらく解剖学教室に10年以上在籍され,あらゆる解剖が解っておられたためと思われ,1982年に僕が主治医だった患者さんの胸腹部大動脈瘤全置換術を成功された),鮎釣りのうまさは頭から離れることがありませんでした.その後,心臓血管外科の研鑽を積みながら鮎釣りも楽しみ続けました.
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