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はじめに
いま社会では「忖度(そんたく)」の言葉が,権力者に媚びる,あるいはへつらう意味のマイナスイメージの語で認識されつつある.しかし国語の正しい意味では,《他人の心をおしはかること,また,おしはかって相手に配慮すること:大辞泉》とあり,中国古来の語で,忖度する相手と自分の立場は平等・中立的なものである.
看護学原論の授業で筆者は,「看護とは他者の心情をおしはかり,手を出して見守ること」と話しながら,心の中で“そう,語の正しい意味で,看護は忖度なの!”と叫んでいた.この「思いはばかる=思んばかる」という,奥ゆかしさをもった「忖度」の語が,大臣や役人を辞任に追いやるほどに手垢まみれの言葉になってしまったことを残念に感じながら.
この授業では学生に次の問いかけもしている.「もしも病院が,AI(人工知能)を駆使した人型ロボットばかりで看護師がまったくいない場になったら,人々は〈病気から回復〉あるいは〈人間らしくあること〉を実現していけるであろうか?」と.学生からは「病気からは回復していけるが人間らしさの実現は無理,なぜなら……」とさまざまな意見が出てくるが,総じてロボットに看護師の代行は無理との意見である.では看護師にしかできないこととは何なのか? それは,他者のことや状況をおしはかることができること,そう「忖度」ができることなのである.
がん終末期臨床では多くの困難状況において,そのことを理解し解決を考える説明概念として,BSC(ベスト・サポーティブ・ケア)やACP(アドバンス・ケア・プランニング:事前医療ケア計画)を使い,また意思決定支援のことが連日のカンファレンスで議題となる.それだけ困難が大きく悩みが深い現場でもある.
今回は壮年期にあるがん終末期患者の母と子どもをとりあげてみたい.逝く母,残されるまだ幼い子どもたち,「今の内に家族関係を!」と看護師は焦る.実際のところ看護師は何に悩み,考え,そして実践しているのか,とりわけ意思決定支援に関係する「忖度」と看護について事例をとおして考えてみたい.
なお,提示する事例はフィクションである.
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