連載 とらうべ
意思決定を迫る看護
岡部 恵子
1
1山梨県立看護大学
pp.97
発行日 2003年2月1日
Published Date 2003/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665100459
- 販売していません
- 文献概要
主体的に行動するということは人間としての幸せを求めることである。それを可能にするのは自己の意思決定の強さである。しかし,意思決定は困難なことがしばしばで,ベストの選択はほとんどないと言ってもよい。とくに看護者の出会う患者,妊産婦らの負わされる意思決定は,いかなる決定であっても苦しみの中での決定であり,決定に従って生きることにも苦しみが伴う。こうした時の意思決定は「選ぶ」ではなく,「捨てる」である。だから,意思決定を支える看護者は,「捨てる」勇気をもてるように,しかも,捨てたくないものを「捨てる」のであれば,捨てたことを後悔しないようにと考えて意思決定を支えねばならない。意思決定がいかに困難であっても,決定せずには苦しみの解決も不可能なのである。「意思決定を支える」は,「意思決定を迫る」であり,看護者にもまたそれは苦しみでなければならない。
私は臨床の場で,常に意思決定を迫る看護をしてきた。やっとの妊娠が稽留流産となった女性は医師や看護者の説得にも抗して子宮内清掃術を強く拒否した。私はベッドサイドに行き声をかけた。「ごめんなさいね。あなたのお腹の中にあるのはもう赤ちゃんじゃないのです。赤ちゃんはきれいな心のままもう天国にいってしまって,お腹の中にあるのは抜けがらなのです。それをほっておくと,出血したり,感染を起こしたりして,次の妊娠にも影響するのです」と。すると数分後,「受けます」という意思が示され,手術は行なわれた。翌日,夫と共に感謝を伝えてくれた。
Copyright © 2003, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.