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はじめに
ブレイン・マシン・インターフェース(Brain-machine interface:BMI)とは脳の信号を機械につないだり直接操作したりすることで失われた身体の機能を補う革新的技術である.米国では,運動プランに関する脳の神経信号を解読して義手や車椅子を動かす「運動出力型BMI」の臨床応用が先行した(図1A)1).失われた運動機能の再建は極めて重要なテーマである一方,言葉をしゃべることも字を書くことも自由にできない患者やその家族にとっては,意思伝達の障害こそ,生活の質(QOL)を左右する最も深刻な因子であり,コミュニケーション支援に対する潜在的ニーズは極めて高い.わたしたちは,どんなものを頭に思い浮かべているのか,すなわち物体の視覚的イメージに関する脳情報を,大脳視覚連合野の神経活動から読み解いて伝えるBMIの開発を提案し,その動作原理の解明を目指している(図1B).
ヒトやサルなど霊長類の大脳で,過去半世紀にわたる神経科学の進歩により脳機能地図の詳細が最も詳しく解明されてきたのが視覚系である.目に映った像は,大脳の中ではまず最後端にある一次視覚野に伝えられ,次いで,一次視覚野の情報はその前方に拡がる『視覚連合野』と呼ばれる広大な領域に伝えられる(図2).視覚連合野はさらに小さな機能単位に分割されることが知られている2).すなわち,視覚連合野には網膜部位再現構造が何度も繰り返され3,4),それぞれの視野再現ユニットが視覚像の色,形,動き,奥行きなどの異なる属性ごとに高度に専門化された情報処理を行う単位として機能するのである5,6).例えば,ヒトを対象とした機能的磁気共鳴画像法(fMRI)により,顔や文字といった視覚カテゴリーごとに側頭・後頭皮質の異なる領域が活性化することが解ってきた.サルを対象とした電気生理学的な研究でも,異なる物体やカテゴリーに特徴的な応答を示す下側頭葉の神経細胞の活動が報告されている.このように,ヒトでもサルでも顔の認知に関わる『顔中枢』が大脳の後頭葉から側頭葉に複数存在することが判明している7~9).さらに一般化して物体カテゴリーの視覚的認知には大脳の後頭葉から下側頭葉にかけての,いわゆる腹側視覚経路,およびその延長である前頭葉連合野の一部が重要な役割を果たすことが示唆されている(図2).
しかしながら,脳の部位と生体機能との対応関係は必ずしも明確でない.殊に,学習記憶,意思決定,言語などの高次機能の神経メカニズムを真に理解するためには,表面的に機能地図を色分けするだけでは甚だ不充分である.静的な機能地図よりもむしろ,神経細胞集団がどのようにして複雑なネットワークを形成し,ダイナミックに階層的かつ並列分散的な情報処理が行われるか,の実体を明らかにする必要がある10~12).物体視の大脳メカニズムについても,未だに多くの謎が残されたままである.たとえば,一体どの程度の規模のニューロン集団の活動が視覚像の認知やイメージの生成を担っているのだろうか? ヒトは目の前にない物のイメージを生みだしたり操ったりできるが,これは脳のどのようなメカニズムによるものであろうか? 物体視に重要な下側頭葉の神経機構はヒトやサルなどの霊長類だけに固有のものなのだろうか? 現在の脳科学では,これらの素朴な疑問に対して明快な回答を与えることはできない.
わたしたちは,このような神経科学の根源的な問題に取り組むために「視覚的なイメージは下側頭葉を中心とした大脳ネットワークに分散表現されている」という作業仮説を立てた.仮説検証のため,広い脳の表面に「網をかける」ように張りめぐらせる電極(図2)を東京大学工学部との共同研究でマイクロマシン技術の応用により開発し,皮質脳波(Electrocorticogram:ECoG)広範囲記録の手法を確立した.このECoG法を研究の核として,ラットやマカクザルの動物モデルでの電気生理学的実験から,ヒトを対象とした臨床研究まで,一貫して物体視の大脳メカニズムの基礎研究を進めている.柔軟な薄膜樹脂を基板とするECoG電極をさらに網状に孔を空けて配置することにより,脳の曲面に柔軟にフィットする,脳脊髄液や空気等の交換を妨げず,従来法に比べてより生理学的な条件で脳機能を観測できる,金属微小電極等の刺入型プローブとの併用が可能,というメリットが得られる.げっ歯類の動物実験においてメッシュ型ECoG電極を用いると,一次視覚野を含むラットの後頭葉から頭頂葉の広範囲にかけて視覚誘発電位,事象関連スペクトログラムが記録できる.網状電極は従来の標準的手法である銀ボール電極に比べて,ECoG信号のばらつきが小さく,また微小電極法で記録した局所フィールド電位(local field potential:LFP)に比べると平均振幅が大きかった.これらの実験結果から,網状柔軟ECoG法の技術的妥当性が従来法との比較において検証されたといえる13).
網状電極は動物実験における極間0.1mmの超高密度計測から,臨床用途における極間5~10mmのモニタリングまで,幅広いレンジでのin vivo記録が可能である.わたしたちは,極間2.5mmで樹枝状に配置した8×16=128点記録用の網状ECoG電極により,マカクザルの大脳側頭葉のほぼ全域に「網をかける」ように留置する手術法を開発した14).顕微鏡下手術で脳に愛護的な脳外科手技法を適用することにより,架橋静脈の過度な発達が見られない脳溝部位を含めて,側頭葉の脳表と脳溝に極めて低い侵襲でECoG電極を留置することが可能となった(図3).上側頭溝への留置実験により,側頭葉の外表と上側頭溝の中で記録されたECoG信号のパワースペクトル密度や誘発電位(視覚誘発電位,visually evoked potentials:VEP)の信号雑音比(S/N比)はほぼ同等であることが示された.さらに,一次運動野においても,中心溝の内部と脳表部では脳溝内部位の方が電気刺激の閾値が有意に低いことも判った.このように,脳溝内からの低侵襲的な記録はシステム神経科学の手法として極めて有用であることが示唆された.
冒頭に示した視覚イメージを解読するBMIの動作原理解明のため,わたしたちはサルを対象とした動物実験と,ヒトを対象とした臨床研究を多元的に進め,それぞれにおいて視覚連合野からのECoG多点記録により,視覚提示している画像のカテゴリーに選択的な神経活動がみられることが明らかになりつつある.例えば,図4はマカクザルの下側頭葉からの高密度ECoG記録により得られた,「顔」に対する応答の例である.図5A,Bを見ると,「顔」や「体」に対する視覚応答は,それ以外の「非生物」の物体カテゴリーの画像に対する応答と分離することができそうである.実際,これはデコーディングによって確かめられた(図5C).ECoGを用いた視覚情報のデコーディングは,視覚刺激の呈示に同期したVEPの平均波形の振幅や傾きなどの特徴量に着目する手法と,ECoGの特定の各周波数成分,たとえば30Hz付近のγ帯域の成分などの特徴量を用いる手法とに大別することができる.わたしたちは,ATR脳情報研究所との共同研究により,後者の特徴量をサポート・ベクター・マシーンと呼ばれるアルゴリズムで機械学習させる手法を用いた.図5Cに示すように,「体」カテゴリー対「それ以外」のカテゴリー,「生物」対「非生物」,「マカクザルの顔」対「ヒトの顔」というカテゴリーの区別が,ECoG法を用いるとチャンスレベルより有意に高い成績で弁別できたのである.サル動物実験でマカクザルの単一細胞活動記録法とECoG法との直接比較を行うと,顔,体,非生物,という大きなカテゴリーに関する情報の復号化(デコーディング)は,単一細胞活動記録法に比べてECoG法は同等以上の成績でできることが明らかとなった(data in preparation).さらにわれわれは,覚醒サル動物モデルを用いて,大脳側頭葉からの広範囲ECoG記録により,どんなイメージを選びたいか,のプランをリアルタイムで復号化するBMIのプロトタイプ開発にも着手している.
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