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はじめに
ダウン症候群(DS)は,常染色体異常の中で最も多い疾患の1つであり,主に21番染色体過剰の21トリソミーによって生じる1,2).我が国のDSの出生頻度は1975年の1.07/1,000出生(1/935出生)から2006年の1.77/1000出生(1/565出生)に増加している3).西オーストラリア在住DS患者のコホート研究では,2000年時点での平均寿命が58.6歳,25%が62.9歳以上まで生存し,最高齢者は73歳であった4).我が国は長寿国であるから日本のDS患者の平均寿命はそれ以上と期待され,DS患者がはつらつとした人生を歩むことは非常に重要である.
しかしDS患者において,ある時期に,これまでできていたことが比較的短期間にできなくなることが時に経験される.筆者らの経験からは20歳前後および20歳代後半に多いような印象がある.菅野は上記の退行について,(1)自然な衰え・低下による老化・退行タイプ,(2)身体疾患退行タイプ,精神疾患退行タイプや青年期・成人期のDSに起こる「急激退行」タイプが含まれる稀に生じる低下・退行,および(3)その他の3つに大別できるとしている5,6).その中で「急激退行」は20歳前後のDS患者において日常生活能力が急激に低下するもので,具体的には,急に元気がなくなり,引きこもりが始まり,日常生活への適応に様々な困難や支障を生じるものと定義している.この「急激退行」という言葉は医学的にはさほど浸透されていない.Caponeらは,上記の症状をうつ的状態(Depressive Illness)と見なし,「うつ病や軽微な気分障害(気分変調)の主な症状としては,うつ的状況,泣く,興味消失,行動の緩慢さ,疲れやすさ,食欲や体重の変化,および睡眠障害があげられる」と紹介している7).しかし,その中には抗うつ薬による治療や環境整備,ストレスの除去などに努めても効果が非常に乏しいDS患者もいる7).これらを整理してみると,「急激退行」とはコリン作動性の障害をベースに甲状腺機能異常をはじめとする様々な身体疾患やうつ病などの精神疾患が併発して生じる複合的な病態なのか,または単にアルツハイマー型認知症(AD)の初期症状なのか,それともそれら両者が重複することで発症する複雑な状態であるのか,十分に検討する必要がある.さらにうつ的状況として表出されていても,それがうつ病そのものなのかADの初期症状なのかを判別することもしばしば困難である.さらには,DS患者は必ずしも諸検査に協力的でないため,精神医学的評価の困難さはさらに深まってしまう.
35歳以降のDS患者では,記憶力の低下,視覚性記銘力の障害,言語運動障害および認知の障害などが高率に出現し,さらに人格変化を示す例が多い8,9).60歳以上のDS患者の75%がADの症状を示すとされている1).DSで認知症を合併した患者の脳はADに類似した病理学的変化を示す.老人斑はADの場合と同様に主としてβ-アミロイドで構成されており,早いものでDS者の10歳代にみられ,30歳代には全例出現する.神経原線維変化は老人斑より遅れて現れ,DS者では30歳以降にみられることが多い10).DS患者は21番染色体上(21q21)にあるアミロイド前駆体蛋白(APP)遺伝子が3コピーあるために,APPが過剰産生されるためと考えられている11).APPは前脳基底核のコリン作動性ニューロン内での神経成長因子を抑制することが知られている12).
DSとコリン作動性障害の問題については,数多くの報告がある.DS小児の脳では,アセチルコリンエステラーゼ(AChE)活性が高いという報告もある13).高齢になり,特にADを合併したDS患者の脳ではコリンアセチルトランスフェラーゼ(ChAT)の活性は明らかに減少する14).DSにおいてコリン作動性ニューロンの異常を来す時期は不明である.ADの発症の前におそらくコリン作動性ニューロンの数の減少を認める可能性がある15).DS胎児のニューロンを定量した研究では,コリン作動性,モノアミン作動性,セロトニン作動性のいずれも異常を認めないという報告もあれば16),胎児期から異常があるという報告もある17).このコリン作動性の障害は,中枢にも末梢にも起こることが報告されている17,18).我々は,DS患者で高頻度に排尿機能障害,特に膀胱収縮能の低下が起こることを経験しているが,膀胱収縮にはアセチルコリンが重要な役割を果たす.
塩酸ドネペジル(DH)は,アセチルコリンエステラーゼ阻害作用を有する薬剤で,ADの進行を抑制する薬剤として使用されている.上述のADとDSの類似点から,脳内コリン作動性の改善がDS患者の日常生活能力を向上させることを期待してDSの成人患者にDHの投与が試みられているが,効果の程度には大きな幅がある19)~21).副作用についても,中断せざるを得ない程重度とする報告20)と大きな問題はなかったという報告19)が混在している.
今回,わが国の成人DS者がどのような生活をされているのかのアンケート調査,排尿障害の検討とQOL能力改善に向けてのDH療法の試みについて報告する.
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