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はじめに
図1はDr. Frank Krusenが1971年6月7日,筆者の恩師である米国ミネソタ大学医学部リハビリテーション(以下,リハ)医学教室のFrederic Kottke主任教授宛に送られた直筆手紙のコピーである.手紙にはChino(破線で示す)が3ヵ所あるが,手紙左上の赤鉛筆で“Dr. Chino”と書かれているのはDr. Kottkeの左利きの特徴あるサインで,秘書に「Dr. Chinoに渡すように」との伝言メモであり,本文中にあるのはDr. Krusenのものである.
手紙の内容は,Dr. KrusenがKrusen, Kottke, Elwood編著の“Handbook of Physical Medicine & Rehabilitation”第2版1)の校正を2日前に終了したばかりで,初版に比べて内容も充実しページ数も増えたことなどの喜びをDr. Kottkeに伝えるとともに,「Dr. ChinoがKottke教授のもとでリハ医学を研修していることを知っているが,この教科書をDr. Chinoに邦訳してもらい,日本のリハ医学教育に役立ててもらったらどうだろう」という要旨である(図1).
当時,Dr. KrusenはInternational Federation of Physical Medicine and Rehabilitation(IFPM&R)を組織し,米国内のみならず国際的にリハ医学教育の啓発に多大な貢献をしておられ,日本のリハ医学教育のあり方にも関心を持たれていた. 筆者はKottke教授からこの手紙のコピーをいただき,Dr. Krusenを表敬訪問しようと準備をしていた矢先に体調を崩されたとの連絡が入り,願いはかなわなかった.そして,Dr. Krusenはこの手紙を書かれた2年後の1973年に逝去された.
Dr. Krusenが逝去されてから15年後の1988年,ご遺族はDr. Krusenが1943年から1967年の間に書かれた日記をメイヨー・クリニックのMedicine Libraryに寄贈した.Dr. Krusenの日記はメイヨー・クリニックのリハ医学科有志によって解読,整理され,American Board of Physical Medicine and Rehabilitation(PM&R)発足50周年記念に当たる1997年にArch of PM&Rに4編に分けて掲載された2~5).日記には,米国においてDr. Krusenがリハ医学を新しい専門医学領域として集大成することと併せて,米国医師会(AMA)専門医制度委員会へ申請するための経緯,また,その後に生じた「物理医学」(Physical medicine)と「リハ」(Rehabilitation)とを併合するための苦労話などがつぶさに書き留められている.
その内容の主たるものは,1)リハ医学:Rehabilitation Medicine(当初はPhysical Medicine:物理医学)を過去の基礎ならびに臨床研究データをもとにして,物理医学分野での診断と治療法は既存の専門医学領域とは一線を画す新しい専門領域であり,新たな米国専門医制度として申請し承認された過程,2)関連医学領域の「放射線科」「整形外科」「神経内科」「内科」の専門医委員会執行部ならびにAMA専門医制度委員会との折衝,3)1947年に“Amer Board of Physical Medicine”として承認されたものに,2年後の1949年に“Rehabilitation”を追加した過程,ならびに,“Rehabilitation”を追加することに対してAmer Board of Physical Medicine執行部の多くから反対意見がだされ,Dr. Krusenがその対応に苦慮した経緯などが紹介されている.
本稿ではリハ医学確立の立役者で「リハ医学の父」と称されるDr. Krusenの足跡をたどりながら,21世紀の日本のリハ医学教育・研究の展望について述べることとする.
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