連載 感性の輝き・第27回
多様性のある未来を開くために
来住 知美
1
1大阪市立総合医療センター感染症内科
pp.685
発行日 2015年9月15日
Published Date 2015/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5003200213
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病院で働く始めの1年は,誰でも毎日が未知との遭遇だと思う。私が聞き慣れない医学用語の飛び交う大海を泳ぐすべをようやく覚え始めた冬,きぬさん(仮名)は入院した。きぬさんはうれしいことがあると時々「にやり」と笑う,大正生まれの方だった。そして重い認知症だった。何年か前に脳梗塞を起こしてからは話せなくなり,動けなくなり,そして食べられなくなった。きぬさんはこの1年で,誤嚥性肺炎を何度も起こしていた。そんなきぬさんに私は,絶食の指示を出し,抗生剤の点滴を行った。それから,STの先生と嚥下リハを行った。でも,今度こそはいよいよ経口摂取は難しくなったようだった。
雪がちらついたある日,病棟は春のように暖かかった。お見舞いに来ていた上品な娘さんがぽっつりと「昔,このひとはアイスクリームが好きだったんです」と話した。きっときぬさんの先は長くない。私は,おいしいものを食べたきぬさんの「にやり」が見たい,と思った。指導医はそんな気持ちを見透かしてか,「来住先生が,アイスを買ってきてもいいんだよ」と言った。でも私は,ドラマみたいな展開は恥ずかしいな,なんて思い,毎日ベッドサイドでとまどい,結局とまどったまま,動けないままだった。そしてきぬさんは食べられないまま退院の日を迎えた。私には,行動を起こす勇気がなかったのだと思う。後日,きぬさんは本物の春が来る前にまた肺炎を起こして亡くなったと聞いた。
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