Nomade
多様性
秋山 雅彦
1
1札幌禎心会病院脊椎・脊髄末梢神経センター
pp.1049-1050
発行日 2020年12月25日
Published Date 2020/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5002201541
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毎月医局に届く「脊椎脊髄ジャーナル」の巻頭言Namadeを楽しみにしている.この世界で臨床・研究のトップを走る方々の文章には含蓄があり,論文や学会講演とは違った切り口の考え方が記されていて,新たな感動を覚えている.そのNomade欄の執筆依頼が来たときには小生の業績から資格者ではないのでは? と逡巡してしまったが,この世界にも「多様性」の時代が来たのかと勝手に解釈し,僭越ながら文章を綴らせていただくことにした.
自分が「多様性」という言葉を実感したのは,今から20年近く前にアメリカ北部の田舎町で研究生活を送っていたときであった.アメリカというと移民の国でさまざまな人種・文化・宗教の人たちが生活している,というイメージがあるが,当時のその田舎町は大多数が白人という地域であった.施設内を移動するシャトルバスが混み合ってきても,大抵私の隣は最後まで空席,それ以上乗ると狭い通路に立っているということもしばしばで,嫌悪感とともに自分はきわめて異質な存在なのだと実感したのであった.ふとそのときに,渡米前に習っていた英会話スクールの先生が,「日本では街を歩くとジロジロと見られる,電車の隣の席に座られないことが多い,差別されている気がする」と言っていたことに対して,当時は東京周辺でも外国人は今ほど多くなく「珍しいから好奇心で見ている,座席もほかが空いてるから先に座るだけで差別ではないよ」と自分が答えていたことを思い出した.まったく同じ現象であるが,受ける側になると感じ方がまったく変わる,もっと共感するような答え方をしてあげるべきだったと自分を恥じたものであった.
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