提言
母親の死とコミュニタリアニズム
田島 明子
1
Akiko Tajima
1
1聖隷クリストファー大学
pp.364-365
発行日 2017年5月15日
Published Date 2017/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5001200896
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母親の死
私事で文章を始めてしまい恐縮であるが,本年1月5日に母親が亡くなり,現在49日の期間を過ごしている.心臓のあまり丈夫でない母親で,息苦しさの訴えがあったが,予約していた年末年始の旅行に行ったりした.その後,私は一人暮らしであった母親の元を離れ,実家からは距離のある勤務先に戻った後の出来事であったため,後悔の念に堪えないのが正直なところである.
通夜,告別式までに少し間があり,遺体となった母親と共に過ごす日を数日得た.その時初めて訪れた圧倒的な感覚が母親の<からだ>への感謝と愛着だった.私は高齢になるほど太っていった母親の<からだ>を好きにはなれなかったのだが,しかし動かぬ母親の<からだ>を前にすると,産んでくれたこと,生きること・死ぬことについて身をもって教えてくれたこと,共に人生を過ごさせてもらったことのすべてが,母親の<からだ>を通じてなされた,私にとっての奇跡のように思え,涙が勝手に出てきて,気づいたら母親の<からだ>に頬ずりし,抱きしめていた.
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