提言
OTだからできること! OTがやるべきこと!
森川 敦子
1
Atsuko MORIKAWA
1
1広島医療保健専門学校
pp.4-5
発行日 2013年1月15日
Published Date 2013/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5001100001
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私を発達障害という言葉に出合わせてくれたのは私の末っ子の三女である.私には4人の子どもがいるが,その末っ子が発達障害をもっている.彼女が幼稚園生のころ,上の子どもたちには難なくできていたことが彼女にはできなかった.でも知的発達や運動発達に大きな遅れがありそうにもみえない.彼女の不思議な発達特性とそこから繰り出される日々の出来事――トイレに行くのが嫌でおむつがとれず,ダンボール箱の中が好き,運動会の練習やリズム遊びのときは園から逃亡――に不思議さを感じ,笑いながらも私の甘やかしが原因ではないかと悩まない日はなかった.ちょうど私が15年間務めた精神障害分野での仕事から養成校の専任教員となって,学生教育に奔走しはじめたころであった.
彼女が小学校に入学するとその特性はますます顕著となり,国語のノートのマスの中に字がうまく収まらなかったり,文字を横書きにすると隣どうしの漢字を勝手に合体させたり分解させたり(例「森川」→「森ノり」),音楽の時間には「(音が)気持ち悪い」と保健室に運び込まれたり,パジャマのまま学校に行こうとしたりした.仕事に追われ,朝と夜,1日数時間しか彼女と一緒にいることのできない私の代わりに母親役を務めてくれていた中学2年の長女が言った.「そろそろきちんと検査して認めたほうがいいよ」
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