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私が麻酔科医局に入局した1980年頃は,ハロタン,ペントレン麻酔の全盛期。プラスチック製の気管チューブはすでにありましたが,スパイラルチューブはゴム製,ダブルルーメンチューブは赤ゴムで,毎回カフを取り付けていました。金属のスタイレットを使い,角度をつけて挿管し,使用後は洗浄滅菌して再使用していました。金属スタイレットは,洗浄後毎回木槌で叩いて真っ直ぐにしてから再滅菌するので,金属疲労のために先端が折れて気管内に落ちたという報告もあり,挿管後に,スタイレットの長さのチェックが毎回必要でした。心電計もすべての症例に使えるわけではなく,手で脈拍を触れ,5分ごとに血圧を測り,麻酔チャートに記録し,用手換気で長時間の麻酔をやっていた時代でした。
徐々にモニターが整備され,従圧式人工呼吸器(Bird社)から,麻酔器に人工呼吸器がつくようになりました。1986年から2年間の米国デューク大学留学時,動物実験室に,当時日本の手術室ではまだ使用されていなかったパルスオキシメータが何台も置かれているのを見て,隔世の思いがしました。1989年,秋田県立脳血管研究センター(現 秋田県立循環器・脳脊髄センター)麻酔科に一人科長として赴任しました。それから現在まで,脳外科手術麻酔一筋でやっています。
当院は,県民病といわれた脳卒中の撲滅を目的に設立され,脳卒中の研究,治療に励んできています。脳卒中患者は動かしてはいけないという常識を破り,救急車で患者を連れてきて治療し,元の病院に戻すということをやっており,次から次へと脳卒中患者が運ばれてきました。私は,そのほとんどの期間,一人で麻酔を担当してきました。30年以上やってきて,ここでしか経験できないようなこともありましたので,皆さまに少しでも役に立てばと思い,気管チューブにまつわるエピソードをお話しいたします。
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