徹底分析シリーズ 番外編 もっと知りたい鍼治療
日本鍼灸の段階論—後編
長野 仁
1
1森ノ宮医療大学大学院
pp.1062-1068
発行日 2019年11月1日
Published Date 2019/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.3101201504
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うちばり(打鍼)・くだばり(管鍼)・けいはり(経鍼)
中国では元代に「子午八穴鍼法」*12が登場するなど,四肢(手足)の要穴を多用するのに対して,日本では五大思想(五輪発生説・諸虫病因論)のバイアスによって体幹(背腹)の要穴を重視するよう変容を遂げた。
日本でいつから「打鍼」(図6)が行われるようになったのかは詳らかでない。正親町天皇・後陽成天皇に仕えた鍼博士・御薗意斎(1557〜1616)の遠祖で,花園天皇(1297〜1348)に仕えた多田次郎為貞を創始者とする説は時代が早すぎて首肯しかねるが,遅くとも戦国期に実施されていた状況証拠がある〔煙蘿子針灸法青樵齋道丹自序;1530〕。「蓋し,牡丹根は甜(甘)うして,螙蟲*13これを損ず。その旁ら,常に小穴あり。すなわち蟲の所為の処なり。花工,硫黄を点して其の樹に鍼し,艾炷を以て其の根に灸す。これ花を医するの法と謂う」は,諸虫の退治を目的とした「打鍼」の隠喩と考えられるが,宋代の園芸書を典拠としている点は興味深い〔洛陽牡丹記三・風土記;1072迄〕。なぜなら,打鍼のアイデアの源泉が法具や神器の延長線上ではなく,園芸からの技術転用という新たな可能性が開けるからである*14。
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