海外通信
放射性ジギトキシンとジヨージ・オキタ氏/The use of "self-radiation" labelled tritium digitoxin in biological experimentation
田辺 恒義
1,2
,
James L. Spratt
3
,
E. M. K. Geiling
3
,
George T. Okita
3
1札幌医科大学薬理学教室
2ミシガン大学薬理学教室にて
3Univ.of Chicago, Dept.of Pharmacology and Argonne Cancer Research Hospital
pp.91
発行日 1957年4月15日
Published Date 1957/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905941
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シカゴ大学薬理学教室ではC14ジギトキシンを作つて種々の実験を行つている事はあまりにも有名である。そこの主任はガイリング教授であるが,実際にはその分野を担当していた中心人物はジヨージ・オキタ君である。彼はシアトル生れの日本人二世で,30歳代の極めてピチピチした張切り屋である。彼は日本には興味を持つて,一度日本へ行きたがつている。併し日本語を知らないので,日本へ行つて困るだろうと頻に心配しているが,今から習おうにも時間が無いとこぼしている。
彼は今薬理学教室とアーゴンヌ癌研究病院とを兼任し,特に後者の研究部門の最も重要な幹部の1人である。今年に入り化学部門のウイルツバツクとブラウンがジギトキシンにトリチウムで放射能を附与する事に成功した。閉鎖硝子器内でジギトキシンにトリチウムを1週間反応させると,分子内の水素が一部トリチウムと置換されるというのである。之を精製して彼は放射能の極めて大きいトリチウム・ジギトキシンを得ている。
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