巻頭言
學者と停年制
能谷 洋
pp.235
発行日 1951年6月15日
Published Date 1951/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905583
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年毎にすぐれた醫學者が各大學に於て停年制のために研究の第一陣から退いてゆかれる。研究生活には終りのないことは,だれにもはつきり自覺できる事實である。假りにその研究者の肉體が滅びてもその意志は研究領域に於てその弟子を通し更に或は子を通して次々と繼承さる可きものである。つまり研究というものは中斷を許さない,研究というものはそれ自身の繼續性乃至恒久性と何ものにも壓迫されない自由とを主張する。權力,それが時の爲政者であろうと又は黄金であろうと,研究を壓迫する權利はない,又如何なる制度も研究を抑壓する權利はない。いいかえれば研究というものは人間の本性につながる善意の本質的慾求である證左である。それは眞理を愛するからとか又は,Humanityに生きんとする熱意によるものであるとか,いろいろ美しい言葉で表現されるがつまるところ人間の本質的な慾求の現われたにすぎない。
中世紀の暗黒時代ならいざしらず,現代に於て,われわれの日々の生活そのものの場が,高度に發達しなお且つ發展の途上にある文化社會であり,また他國に比してさまで劣るとは考えられない教育制度の發展して日本の教育をうけた程の人なら,生活が直に研究につながる位の事は當然であつて,研究が所謂“學者”だけの專有物であると考えることこそ,實に奇妙な話しである。われらは研究室に住むが故に研究者であるという風な誤つた考えを先ず捨てようではないか。
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