隨想
解剖學名に就て/ロシヤ科學者と醫學發見の先取権
小林 司
1
1新潟醫大・解剖
pp.172-173
発行日 1949年10月15日
Published Date 1949/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905481
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醫學を修める者に取つて解剖學が不可缺のものである事は論をまたないが,同様に醫學そのものにとつても廣義の解剖學が總ての基調をなしてゐる事も疑のない事實である。
解剖學の骨子は,そして解剖學の成立する最も根元は生體各部の名稱である。而して最優秀生物を以て自ら任じて來た人類はこの醫學の基礎の基礎とも云ふべき解剖學名に就て如何なる考慮を拂ひ如何なる改良をなして來たか。我が國に於ても1774年杉田玄白等の解體新書,1805年宇田川榛齋の醫範提綱が公にせられその大體の形を整へ後に1905年に鈴木文太郎が解剖學名彙を編んで初めてその統一をみるに至つた。一方1895年Baselに開かれた獨逸解剖學會の撰定した所謂B. N. A. は,40年後の1935年(昭和10年)にJenaの總會で決められたI. N. A. に變はり,此の間我國でも昭和4年,昭和15年2回にわたり用語改訂が計られ,昭和18年3月現行の日本解剖學會撰解剖學用語即ちNomina anatomica japonicaがまとめられた。處で現在行はれてゐる日本の醫學教育を見るに主にNomina anatomica japonicaに據り,I. N. A. とB. N. A. を附加して教へて居る。
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