話題
オーストラリアの研究生活雑感
竹中 敏文
1
Toshifumi Takenaka
1
1横浜市立大学医学部生理学教室
pp.309-311
発行日 1977年8月15日
Published Date 1977/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425903201
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オーストラリア政府のグラントが3年間とれたから好きなときに来ないかという手紙をもらったのはもう4年も前のことになる。当時自分にとってオーストラリアという国はなんとなく魅力ある国であった。如何にも大陸的な国柄であるにもかかわらずNobel laureateの中でも一級品の免疫耐性の研究のSir F.Burnetや,わが国の電気生理学に大きな影響を与えたSir J.Ecclesなどが出現したということも不思議なことであった。いく所は,研究のメッカであるANUでなくUniv.of Queenslandの数学教室であった。ここのProf.Bassという人は物理化学が得意で,以前から膜研究にこちらのデータを使用していたからである。日本の数学教室に比べて内容が非常に幅広いので,問い合わせてみたところ日本の方が例外で片寄っており,たとえばイギリスにいけば波動を研究している人が教室主任になっているという話であった。そこでいままで全く経験のない教室に入ってもまれてみるのも面白いので彼の地に向かった。
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