特集 世界の看護教育制度
オーストラリア連邦
草刈 淳子
1,2,3
1千葉県衛生専門学院
2国立国府台病院付属高等看護学院
3東京大学医学部保健学科
pp.742-756
発行日 1974年11月25日
Published Date 1974/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906833
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はじめに
最近の日本とオーストラリア連邦(以下オーストラリアと略す)の関係は,ホイットラム首相の来日でますます近くなってきている.日本は,赤道をはさんで,オーストラリアの上に位置しており,まさに‘2階の国’(upstairs' country)といわれる由縁である.距離的には,アメリカよりは,はるかに近いにもかかわらず,我々の目に触れるもの,耳に聞こえるものからすれば,我々日本人にとってオーストラリアは,心理的には,はるかにアメリカよりは遠い存在であったことはいなめない.
昭和34(1959)年,初めて東京で開催されたWHO西太平洋地域看護セミナー(WHO, Nursing Seminar in the Western Pacific Region)にも,オーストラリア代表の看護婦が出席し,アジア・オセアニア地域の看護問題について討議が行われた.また昭和38(1963)年には,メルボルン(オーストラリア・ビクトリア州)でICN大会が開催された際には,日本代表が,日本看護協会から派遣され,現地の模様を視察してきている.その他,個々にもオーストラリアへの海外派遣があり,両国の間には,看護の面での交流がないわけではない.
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