話題
ブダペスト1年—伝導路・神経網
金光 晟
1
Akira Kanemitsu
1
1長崎大学医学部解剖学教室
pp.413-416
発行日 1976年10月15日
Published Date 1976/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425903150
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昭和49年度に発足した日本・ハンガリー科学者交流事業に基づいて,筆者は昭和50年3月から昭和51年2月までハンガリーの首都ブダペストに滞在した。旅費は日本学術振興会,滞在費はハンガリー文化交流協会が負担し,期間1年という制度である。留学先はSemmelweis医科大学第一解剖学教室,主任教授はSzentagothai先生である。当医科大学名に冠せられているI.P.Semmelweis(1818〜1865)はハンガリーの産科医で,ウィーン大学付属病院に勤務中に産褥熱は医師や助産婦の手指の汚染からの感染による敗血症であると推測し,塩化カルシウムで手指を洗うことによつて死亡率を激減させたが,その学説は当時の学界の受け容れるところとはならなかつたという。この名称は戦後の学制改革によるもので,以前はブダペスト大学医学部である。
1938年に日本・ハンガリー文化協定が結ばれ,第2次大戦では枢軸側として参戦したのであるが,ハンガリーは私たちにとつてまだなじみのうすい国のようである。彼地滞在をふりかえつても別段まとまつた話が書けるわけでもなく,とりとめのないことを思い出す順に並べるだけになるのだが,日本に好意をもつこの国の一端をお知らせできれば幸せにおもう。
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