話題
第9回国際生化学会見聞記
和久 敬蔵
1
Keizo Waku
1
1東京医科歯科大学難治疾患研究所中毒化学研究部
pp.84-87
発行日 1974年2月15日
Published Date 1974/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902980
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
日本の生化学者約120名をのせたDC9がストックホルム空港に着いたのは6月30日,昼の12時。眠い目をこすり,少し変調を来した胃袋をかかえて,異常高温というストックホルムの郊外を30分,バスで通りすぎ,市の中心にあるMalnem Hotelに着く。まずは生化学会場へいつて,registrationをするために友人と二人,ホテルのマネージャーに車で送つてもらい,着いてみると,Älvsjö駅のすぐ近く,ストックホルム中央駅から10分ほど汽車に乗つたところで,郊外に作つた素朴な会議場といつた感じのところだつた,ガランとした鉄骨の体操場のようなところで名札と分厚い予講集,LKBと大きく署名入りのバッグを受け取る。今回の生化学会はLKBの援助を大幅に受けているとのことだが,日本でもしこのような広告のついたバッグを配つたら相当問題になるところであろう。
今回の生化学会の発表は約1/3がoralで,あとはポスターによるものである。oralは持ち時間が15分で質問も一つか二つに限られるに反し,ポスター発表は午前中または午後中,壁に1×2mの範囲で貼ることができ,discussion timeと称して1時間だけは少なくとも発表者がポスターのところにいる義務があるというシステムをとつていた。この試みは一つは数多くの人が発表できる点で,もう一つは親しくdiscussできる点で成功したと思われる。
Copyright © 1974, THE ICHIRO KANEHARA FOUNDATION. All rights reserved.