研究の想い出
四十五年の研究生活の想い出
原 三郎
1
1東京医科大学
pp.147-152
発行日 1971年6月15日
Published Date 1971/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902893
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
私は大正13年5月27歳の時に東京医専の教授となり薬理学教室の創設にかかつた。3年前の昭和43年3月70歳で停年退職したので,その間の44年間は教授としての仕事をしながら研究にも従事していたとみてよいかと思う。この前のことを付記すれば,私は大正9年の6月に東京医専を卒業したが,なおその前を辿れば大正4年4月に目本医専に入学し,翌大正5年に当時の同校の学校経営者と意見を異にし血判連署の盟約によつて総退学を決行して,新しい学校を創立する先頭のひとりに加わつた。幸いに高橋琢也,佐藤達次郎両先生の義侠と温情によつて東京医学講習所を経て大正7年4月に東京医専が創立され,ここを卒業したのであつた。真に異常な風変りの医学生生活であつて,その後の生涯の研究生活とこのことと因縁が深いのである。
卒業してから短時日に学校生活の不備を埋めようと努めた。卒業後すぐ順天堂医院内科に入りしばらく荒井恒雄先生の傍で内科を見学し,呉秀三先生の経営の音羽養生所に先輩の安部達人君が勤めていた因縁で,呉先生が直接患者を診療される時に,進んで自ら先生の傍にいて勉強するのが楽しかつた。そこの医員たちは先生に近づきたくないように見えた。
Copyright © 1971, THE ICHIRO KANEHARA FOUNDATION. All rights reserved.