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幹細胞という言葉が科学史上に現れたのは,1968年ドイツの発生生物学者Ernst Haeckelが“Stammzelle”の語を用いたときといわれている。20世紀初め,“幹細胞性”の研究は,主として造血細胞と奇形腫(テラトーマ)を用いて行われた。そして,幹細胞が多分化能と自己複製能を持つ細胞と定義されたのは,1961年のことである。カナダ トロント大学のMcCulloch博士は血液の研究者,Till博士は物理の研究者,この二人がある日,リトリート(研究室を離れての研究者同士の集まり,避難と同時に静養の意味あり)でお互いの仕事の話をしたことから,共同研究が進んだといわれている。研究者は自分の研究に忙しく,あまり他人の仕事に関心を示さないもので,時に隣あって話をする機会は大事なことだ。全身に放射線をかけたマウスに骨髄細胞を移植したところ,マウスは造血を回復した。そのとき,彼らは脾臓に小さな瘤が幾つかできているのを見つけた。この瘤は赤血球や白血球からできており,1つの母細胞が分裂してできた集団だということがわかった。幹細胞を直接見ることはできないものの,増えた何百万個の子孫を見て,母なる細胞を想像し,彼らは謙虚に細胞とは呼ばずに,脾コロニーユニットと呼んだ。のちに,多くの人がこのユニットの実体=幹細胞を見ようと努め,スタンフォード大学のWeissmanのグループは,Herzenbergと協力してFACSによる幹細胞の同定を試みた。造血幹細胞研究に続いて,神経や消化管上皮などで多くの組織幹細胞研究が誕生した。
一方,3胚葉に分化するテラトーマの研究は,始原生殖細胞や内部細胞塊の研究に展開し,1981年にはEvansらによってES細胞が樹立され,2006年には山中伸弥らによってiPS細胞が作製された。これらは組織幹細胞に対して,多能性幹細胞といわれる。現在では,胎児,胎盤の両方に分化し得る全能性幹細胞の研究にまで進展している。
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