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はじめに—哲学的疑問
フィンランド発のケアの手法/システム/思想である「オープンダイアローグ」は、この数年間でかなり広く知られるようになり、支援者からも当事者からも強い関心が寄せられています。国際学会などに参加した印象からも、日本における関心が突出して高いように思われるほどです。初期から普及啓発にかかわってきた者の1人として、この状況には大きな感謝と喜びを禁じ得ません。
私は臨床家として、オープンダイアローグの実践を4年間以上続けてきました。常にフェアであろうと努力してきたことを除いては、さして傑出したものを持たない凡庸な精神科医に、オープンダイアローグは超強力なブースターを与えてくれました。支離滅裂な妄想を語り続ける精神病の患者、かつての私ならただちに「了解不能」の烙印を押して保護室に隔離していたような患者、そうした人々とも対話を繰り返しながら、薬物の力を借りずにリカバリーの方向へ歩を進めることができるようになりました。そうした治療経験の一部については、患者さんご本人の許諾を得て報告もしてきました。
還暦目前にして臨床技術が突然向上するとは考えにくいので、治療側の要因としては、明らかに私の所属する治療チームとオープンダイアローグのおかげ、と考えてよいでしょう。少なくとも私たちは、オープンダイアローグの有効性はすでに確立されたものと考えています。十分なエビデンスの確立や保険収載に至るまでの道のりはまだかなり先ですが、おそらく時間の問題でしょう。
目下の私の悩みは、もはやオープンダイアローグの実践と普及の難しさ、だけではありません。自分でやっていながら、未だによくわからないことがあるのです。つまり、「なぜ対話ごときで、精神病が治るのか」という根本的な疑問です。
確かに私たちは、複数の患者と共に、着実に回復の道を歩んでいます。オープンダイアローグがあれば、それができる。この点についての確信は揺るぎないものです。しかし「なぜか」がわからない。なぜ対話するだけで、これほどの変化が生ずるのだろう。なぜこんなことで、回復が起きてしまうのだろう。
これはあえて言えば、哲学的な疑問です。対話とは何か、人が変わるとはどういうことか、そして「回復」には一体、どんな意味があるのか。
私のこうした疑問に対しては、ヤーコ・セイックラの著作やミハイル・バフチンの著作に、ある程度まではヒントや答えが記されています。しかし実際のところ、私はそれらの答えにまだ十分には納得していません。ここから先は、どうやら自分で考えていくしかなさそうです。
そういうわけで私は、この連載の場を借りて、オープンダイアローグの「思想」を可能な限り掘り下げてみようと思い至ったのです。
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