書論
遺族の立場を経験して
阿部 貴子
1
1立正佼成会附属佼成病院
pp.156-157
発行日 2018年3月15日
Published Date 2018/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689200453
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「あれでよかったのだろうか」
10年ほど前、私の父はホスピスで亡くなった。父は頑固で無口な人で、成長するにつれ父との会話はいっそう減っていた。そんな父ががんと聞いた時、私は楽観的に振る舞うことしかできなかった。治療の効果も芳しくなく、病床の父と2人きりになると何を話していいのか戸惑いを覚え、息苦しさすら感じた。それは、自分が父の死に向き合うことができない息苦しさだと思いながらも自分から話しかけることができなかった。
ホスピスに移ると、もう苦しい治療はなく、父は母と穏やかに10日間過ごした。意識もまばらになった頃、「もう、数日でしょう」という医師の説明に、私は今の状態で父が望むとしたら何ができるのだろうと考えた。私は、治療のため、しばらく入浴できていなかった父に「お父さん、お風呂入りたい?」と話しかけた。その時、確かに父は頷いたように見えた。夜になって母から「お父さん、お風呂入ったのよ。すごく気持ちよさそうにほ〜って言ったのよ」と嬉しそうな声で電話があった。私はその時、それが父の体力を消耗させ寿命を短くしたとしても、父が気持ちよいと感じてくれたのであれば良かったと思えた。その翌々日、父は苦しむことなく静かに息を引き取った。
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