特別記事
胸を切り裂いても痰を出したい―多田富雄著『寡黙なる巨人』を読んで
真部 昌子
1
1共立女子短期大学看護学科
pp.1022-1025
発行日 2007年12月15日
Published Date 2007/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688100966
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「闘病記」がもつ意味
看護,介護を職業とする者は,対象となる人たちを理解したいと思っている。それは,専門職として疾患や治療の状態,障害の部位やレベル,心理などをふまえた看護や介護を提供したいと考えているからに他ならない。しかし,一人ひとりの抱える疾患,障害や背景,想いなどを理解することは非常に難しい。
私はある看護短期大学に勤務している時,授業に「闘病記」を取り入れていた。「闘病記」を取り入れた目的は,病気や障害を抱えた患者の生活や想いといった教科書では知ることのできないものを理解して欲しいと考えたからである。闘病記には,「病気だけのみではなく,患者個人をみてほしい」という訴えが少なくなく,また,患者や家族と医療者との意識のズレが指摘されている1)。しかし,すべての患者が自分の想いを言語として表現できるわけではない。
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