鏡下咡語
三人の巨人
天津 睦郎
1,2
1新須磨病院
2神戸大学
pp.961-964
発行日 2004年12月20日
Published Date 2004/12/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1411100763
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1890(明治23)年12月26日,アテネの家族のもとにナポリから悲報が届いた。未亡人ソフィアに最初に弔意を述べたうちの一人には,ドイツ皇帝ウィルヘルム二世もいた。明けて1月4日の午後には彼の棺を前に,ギリシャ国王ゲオルギオス,皇太子コンスタンティノス,ギリシャの諸大臣が列席して感謝の意を表した。少年時代に読んだトロイ戦争の絵本のさし絵から,遺跡が地下に必ずに眠っていると信じてその発掘を志し,自らの財産をなげうって,ついに長年の夢を実現させた考古学の偉人の波乱に満ちた人生の最期であった。
彼ハインリッヒ・シュリーマン(Heinrich Schliemann 1822-1890)は,左側頭葉膿瘍で意識をなくしてナポリで息を引き取る1か月余り前の11月中旬,ドイツのハレで乳様突起開放術の確立者で耳科手術の大先達ヘルマン・シュワルツェ(Hermann Schwartze 1837-1910)による両耳の手術を受けた。彼に手術を受けることを決断させたのは,近代病理学の巨星ルドルフ・ウイルヒョウ(Rudolf Virchow 1821-1902)であった。
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