連載 わが憧れの老い・1【新連載】
瑞々しい心をもち続けたい「西行」
服部 祥子
1
1大阪人間科学大学
pp.960-965
発行日 2006年10月1日
Published Date 2006/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688100361
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はじめに
加齢は宿命的に心身の老化をきたし,どんな人も体力の衰えを感じ生気が失われていくことから免れ得ない。しかし生涯のそれぞれの段階がそうであるように,苦しみや悩みとともに老いには老い固有の価値や魅力があり,人間的な成熟のチャンスは十分にある。――と信じて,数年前『生涯人間発達論』(医学書院,2000)を上梓した際に,私はその最終章に「老いの発達」を置き,成年後期(老いの時期)の発達論を展開した。
先頃,私自身が高齢者と公的に定められている年齢(65歳)を迎えた。寿命が驚異的に延びている現代日本社会にあっては,まだ老いの入口に立つに過ぎないのかもしれないが,ひとつの節目を越した今,老いについて私なりに考えてみようと思い立った。そのとき最初に頭に浮かんだ言葉が「憧れ」である。
わが行く手の老いに思いをめぐらすとき,一番似合っている心性が憧れなのだと気づき,私はひとり苦笑した。なぜなら憧れは無限の可能性を秘めた思春期にこそふさわしい特性と一般的にいわれ,私自身もそう考えてきた。それがもはや良きも悪しきも多くの未知は既知となり,希望しても新たな能力や可能性の拓ける機会は少なく,残り時間も乏しい老年期にいたってなお憧れとは……という,半ば滑稽とさえ感じられる思いである。
しかし老年期を迎えた今こそ憧れをもちたい。自分の人格や気概や努力と無関係に,いつどんな出来事に遭遇し,脳や身体機能の壊滅が訪れるのか計り知れず,希望通りの老いを生きられるという保証はどこにもない。だからこそ,自分というものをはっきり意識している間は,先人の生き方を慕い,思いを寄せ,憧れの翼を広げてみたい。
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