連載 公立富岡総合病院・青木孝子―その人と実践・6
前院長と盟友・看護副部長の支え
林 千冬
1
1群馬大学医学部保健学科
pp.230-235
発行日 2002年3月10日
Published Date 2002/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686902360
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──医師との"闘い"
"諸悪の根源"
2回にわたって紹介してきた青木による初期の改革の経緯。その後,富岡の看護部が全国から注目されるに至る数々の成果の素地が,すでにこの時期に築かれていたことは繰り返し述べてきた。しかし一方ではこの時期,青木が改革のための"闘い"を看護部以外のさまざまな局面で余儀なくされたであろうことは想像に難くない。最も大きな"闘い"は,言うまでもなく,医師集団との関係の変革であった。
多くの看護職員たちが「医師の身の回りの世話を細々と焼くのが良いナース」と思い込んでいた風土を,青木は「本当にしなければならないことは何か」を繰り返し説きながら改革していった。その手法は,単なる言葉でのお説教ではなく,「清潔援助など,ナースが本来やるべき仕事を実際に増やしていく」というやり方。「そうすれば,ナースはそれだけでとても忙しくなる。医師たちの世話をしている暇などないはず」と青木は考えた。根底には,「ナースたちはケアが十分でないということはよく知っている。誰もがケアをしたいという気持ちを持っているはず」という看護職員への深い信頼,そして,「看護婦が楽をすることが主目的なのではない。第一に,患者のためになるからこそ行なうのだ」という確信があった。
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