特別記事 看護管理30年・公立富岡総合病院・青木孝子の思想と実践
文献に見るこの15年
林 千冬
1
1群馬大学医学部保健学科
pp.126-131
発行日 2001年2月10日
Published Date 2001/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686902320
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はじめに
青木孝子氏(以下,文中敬称略)が副院長および看護部長を務める公立富岡総合病院は,群馬県北西部に位置する富岡市の市街地にある。当院は1936(昭和11)年に17床で開設された産業組合病院にはじまり,戦後は38床の国保病院として再スタートした後,徐々に増床を重ね,1978(昭和53)年には富岡地域医療組合(出資者は富岡市,妙義市,甘楽郡)の自治体病院となった。その後,1990(平成2)年の新築・移転を経て,現在では355床・7単位,看護職員数251名(平成12年5月現在。非常勤を除く),新看護2対1・A加算(1993年~)の,地域の中核的医療機関としての地位を確立している。
私事ながら,筆者は6年前に群馬に赴任し,以降さまざまな機会に青木と直接接する幸運に恵まれた。そしてこの間,大学で看護管理学の教育・研究を続け,また,卒業生から青木と"富岡の看護"についてさまざまに聞き及ぶにつけ,青木と当院看護部のこの30年の経過を,日本における重要な看護管理実践の1つの記録として,ぜひまとめて残したいと願うようになった。なぜ一地方都市の中規模病院で,これだけの看護管理実践が可能となったのか。これらを主導してきた青木の看護管理の理念と方針,そしてこれらを支えた思想とはいかなるもので,どのように形成され発展してきたのか。本稿を起こすにあたっての筆者の問題意識は,さしあたりこのようなことになる。
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