連載 災害看護―金田和子の救護人生から学ぶ(番外編)
「整体」―破損のひどい遺体を整復する1方法
大和田 恭子
1
,
金田 和子
1
1日本赤十字社医療センター
pp.587-591
発行日 2000年7月10日
Published Date 2000/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686901244
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昭和60年8月12日午後6時30分,524名の乗客・乗員を乗せた飛行機が大阪に向けて羽田空港を飛び立った。しかしこの飛行機は離陸後まもなく尾翼の金属疲労という故障のため大きく航路をそれて,クルー達の賢明の努力にもかかわらず,群馬県の御巣鷹山の尾根に墜落.炎上し,520名の尊い命が奪われた。
この日より3か月余りにわたって,日赤は群馬県支部を中心としてこの事故に対する救護活動を展開することになる。
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