レーマ
「考えること」にこだわって
高嶋 妙子
1
1聖隷浜松病院
pp.346-347
発行日 1994年9月15日
Published Date 1994/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686900272
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人間の成長発達段階についての論説を読むたびに,私は自分自身と照らして,至極納得する.もちろん,物ごころがついてからの自分との照合であるが.
中・高校とも女子校であったためか,古き良き時代の故なのかわからないが,何しろ級友と良く語り合った.その語り合いを通して,青年期初期の課題である自己確認の感覚を育成したと思っている.結論は決して出なかったが,「人生とは何か」「人間らしく生きるとはどういうことか」「自分とは何か」などのテーマを繰り返し語り合ったのである.今思えば当然であるが,答は自分で探すしかなかった.この辺りのことは,私の唯一の著書である「私の実践的看護管理ノート」(現代社刊)に書いているが,我ながら感心するほどに私らしく,七転八倒して答を求めた.手当たり次第に読み漁った本の中にパスカルの「パンセ」もあった.内容を深く読み取れる力などはなかったが,「人間は考える葦である」という言葉に,大げさにいえば生きる勇気を得たのを思い出す.もしかすると,私の,「考える」へのこだわりは,ここに端を発するのかもしれない.
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