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I.はじめに
子どもが病気や障害をもちながら家で生活するということは,両親に子どもを養育する役割だけでなく,投薬や医療的ケアなどの「治療的役割」を遂行して子どもの健康を維持する役割が,日本の社会では期待される。その役割は,子どもの病気や障害が重度であるほど,子ども自身の健康を維持する難しさが増し,役割遂行の過重は増すばかりである。
なかにはその役割を遂行することが難しくなり,家族役割を説明する概念の中で「役割緊張」と呼ばれる(Harmon Hanson & Boyd, 1916/村田,荒川,津田監訳,2005)状態になることもある。障害がある子どもの家族の場合,「役割緊張」は子ども自身の体調悪化や治療的役割を担ってきた両親,特に母親の不眠や体調不良(中川,根津,宍倉,2009),健康な兄弟姉妹の不満行動となって家族内に現われる。しかし,母親が自分の辛さを口にしない傾向があるため,病院や医療福祉施設で子どもと家族を支援する医療者がこのような状態に気づくことは稀である(山本,2011a)。
ところが,筆者が看護師としての実践経験10年以上の看護師を対象に行なったインタビュー調査では,看護師は目に見える些細なことに「感受性を高めて観察」を行ない,「何かあることを察知」し,母親から看護師に相談するように仕向ける「危機的状況の早期把握」という技術をもっていることがわかってきた(山本,2011b)。もちろん,看護師が観察したことが何であるのかは,観察そのものからは与えられないため,インタビューでは看護師が意識的にそのものを観察する理由に気持ちを傾けて話を聞くことで,実践経験の積み重ねによってつくられた看護師の認識枠組みを,それができ上がるプロセスと一緒に知ることができた(山本,2011b)。
この認識枠組みは自前の理論であるために看護師各々によって異なってはいたが,家族が示す言動を危機的なサインとして捉える点で共通するものがあった。このような看護師の語りは「うまくいった看護」の語りであり,自前の理論をつくっては実践の中で検証を繰り返し,「あっ,やっぱり!」という意識が積み重なるため,インタビューの場で何を語ったらよいか戸惑っていた看護師も,話を始めると次々に語ることが多かった。
ところで,看護実践の中には意欲をもって取り組んでも難しさを感じ,「うまくいかない看護」もある。このような看護の語りはわれわれに何を示唆してくれるのだろうか。同じように障害がある子どもとその家族にかかわる看護師の実践において,家族とかかわることに難しさを感じている看護師の語りを分析し,うまくいかない看護の意味を考察していきたい。
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