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【解説─再掲にあたって】
看護研究の動向をみていると,一時のように看護の提供方式や看護学生の心理状態のように,どこかに看護は絡んでいるけれども患者そのものにあまり関係しない,というような研究が減り,研究者が明らかにしたいテーマを経験した患者の体験を聞き取り,逐語録を作成し,それを分析することによって生じるデータクラスターからカテゴリーを作成する質的研究が増えてきている。
そのことによって,看護学によって患者そのものが明らかになってきたかというとそうでもない。矮小化された患者現象が羅列されているだけで,そこからは理論を感じることができない。理論はステートメント(立言)の集合体であり,ステートメントは概念の関係を説明する。矮小化された患者現象が発見されたことのない概念を生み出しているのであれば,やがてはそれらが集合してステートメントとなり,理論に組み上げられるのだろうが,その気配が感じられないのである。
その原因の1つとして思い浮かぶのは,研究者が自分を量的研究者,あるいは質的研究者と決めつけていることである。量的研究者は量的研究にしか興味をもたず,質的研究者も質的研究にしか興味をもたない。さらに,質的研究者も現象学的研究,グラウンデッド・セオリー・アプローチ等々,まるで流派の家元のようになってしまっているふしがある。こうした現象は,その研究者が本来探究したがっているテーマを狭めてしまう。あるいは,その研究者が指導する研究者のテーマを歪曲しかねない。
本論文は,1999年にCheryl Tatano Beck博士によって書かれ,『Nursing Outlook』誌に掲載していたものを,当時,筆者や滋賀医科大学で教員をしていたものなどを中心に,抄読会で使用したものである。本論文は,私たちが追うべきは研究によって明らかにされる〈知〉であり,質的アプローチと量的アプローチはそのために奉仕する方法にすぎないということを明瞭に示している。
最近になって,メタ・シンセシスやシステマティック・レビューなど,散らばってしまった看護の〈知〉を再構成する研究方法が開発されてきている。Beck博士の本論文はこのような時期の到来を予見している。私たちが追うべきは〈知〉であって,それは研究方法に限定されてはならないのである。(中木高夫)
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