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はじめに
私とアフォーダンスとの出会い
アフォーダンス─この不思議な言葉にはじめて出会ったのは,いまから12年ほど前のことである。当時私は,修士課程に在籍し,看護者がもつ感性とはいったいどのようなもので,それが知性といわれるものとどのように関係しているか,という研究課題に取り組んでいた。この研究に取り組むためにはさまざまな学問分野や実践分野の書物にあたる必要があり,膨大な情報の波に押し流されそうになっていた私は,ある日,書店で『アクティブ・マインド─人間は動きのなかで考える』(佐伯・佐々木,1990)と題する本に出会った。そして,一気に引き込まれた。この本には,どの分野でも語られていなかった「アクティブ・マインド」という発想,すなわち,人がつねに動き回り,外界に働きかけることによって認識をつくりだし,修正し,外界についてのより確かな情報を抽出していることを示すさまざまな実例が,丁寧な解説とともに紹介されていた。
私はそれまで,「ものごとがわかる」ということについて,ある種の思い込みをしていた。私たちの「頭のなか」という特定の場所に「知識」という実体があり,その知識を「現実の実用場面に即して」引き出し,活用する。「その場にふさわしく対応する」「状況に合わせる」などといった人間の理知的な振舞いは,すべて私たち人間の「頭のなかにある知識」がなせる技なのだ,と註1)。
しかしこの本は,こうした考え方とは全く違う発想の仕方を提案していた。それは,「知識は(頭のなかではなく)環境のなかに存在している」とする考え方である。ただし,この場合の「環境」というのは,私たちのような地上環境で生活する生物と独立したものではなく,生物と相互依存的な関係をもつものとして考えられるものだ(佐伯,1990,p.11)。
例えば,「冷たさ」というものを考えてみる。私たちは「氷は冷たい」という性質を利用して,患者の発熱を抑えたり患者に心地よさを提供したりするために氷枕をつくる。この「冷たさ」は,氷自体が人間と離れてもっている性質ではない。「冷たい」というのは,あくまで「人間にとって」という注釈がつくはずである。他の生物にはどのように感じられるかはわからないが,少なくとも,氷自体にとっては「冷たい」というものではないだろう。つまり,「冷たさ」は氷自体によって引き起こされたものといえるが,一方,氷にとってみれば,人間がいて,「触れてくれる」おかげで,自らの「冷たい」性質が顕在化したのだ,といえる註2)。
このように,「環境」(上の例では「氷」)というものを,私たちが生活している生態系のなかで,私たちと相互に作用し合って,その性質(上の例では「冷たさ」)をあらわにするものだと考えよう,というわけである。「環境」をこのように定義すると(例えば,「氷」とは冷たいものだというように),「知識」というものが,私たちの内部に備わっているものだとは考えにくくなってくる。むしろ,環境と私たちが相互につくりだしているものが「知識」であると考えるほうが,無理がない。
このように,環境にあって私たちが行為することによって発見している性質を,20世紀の米国の知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソン(1904-1979)は「アフォーダンス」と名づけた。アフォーダンス理論では,私たちの活動(認識したり行動したりすること)を考えるとき,その活動を支える環境の重要性について強調する(佐々木・三嶋・松野,1997,p.10)。例えば「すり抜けられる隙間」「登れる坂」「つかめる距離」はアフォーダンスである。また,「床」はそこに立つことを,あるいは歩くことをアフォードしている(afford=「提供する」の意)。アフォーダンスとは,いわば,環境が私たちに提供する意味のことなのである註3)。
環境が提供する意味には,私たちにとって都合のよいものもあれば,悪いものもある。同じものであっても,人によって異なるアフォーダンスが知覚される。また,知覚する有機体の種が異なればアフォーダンスも異なる。例えばゾウとアリが1本の木に知覚するアフォーダンスは異なるだろう。したがって,環境のなかのすべてのものに,アフォーダンスは無限に存在すると考えられる(佐々木,1994,pp.60-62)。
『アクティブ・マインド』を手にしてから,私はアフォーダンス理論のとりこになった。とりわけ「行為が発見することのできる意味」という考え方に心酔した。私たちが,この環境のなかでとっているさまざまな行為は,環境のなかにあって私たちを取り囲んでいる多様な意味を柔軟に探し当てることなのである(佐々木,1996,p.60)。この考え方を知った後の私は,生態心理学者である佐々木正人氏が予言したとおりに(1996,p.3)註4),「みること,聞くこと,触ること,嗅ぐこと,味わうこと,歩くこと」など,いわばこうした自分自身と世界の関係が全く違うものに感じられ,“世界が違ってみえてくる”というビビッドな体験をした。
本稿では,アフォーダンス研究が看護とどのように関わり合い,看護の実践や研究に何をもたらすかを論じてみたい。本焦点を読まれる読者の1人でも多くの方と“ビビッドな体験”を共有し,アフォーダンスの世界観に触発された看護研究に,ともに取り組むときがくることを願いながら。
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