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はじめに
戦後のわが国のお産は,昭和30年代から40年代にかけて,自宅分娩から病院・診療所へと推移した。その過渡期に,開業助産師から勤務助産師に移行した助産師も多い。
数年前,ある助産師より,昭和40年代に関東の総合病院産科病棟で勤務していた頃の話として,「帝王切開をするか否かの判断に困ると,医師は決まって『○○産婆を呼べ』と指示をした。呼ばれた助産師(開業助産師から勤務助産師となり主任の役職にあった)は,産婦を診察して,『先生,この人は帝王切開したほうがいいですよ』とか,『この人は生まれますよ』と返答した。そうすると,その通りの結果になった」と言うほど,「診断力や判断力に長け,医師からも信頼されていた助産師が病院内にいたこと」を話された。
その話が忘れられず,機会があるごとに病院勤務者や病院勤務経験者に,そんな助産師が現場にいなかったかを尋ねた。すると「産婦やその家族から指名される助産師がいた」「その人が勤務につくと,勤務時間内にすべてのお産を片づけ,次の勤務者に送るようなことはしなかった」「何時にお産と言えば,その時間にお産になった」「会陰は切らんでも,もう少し待ったら出ると助産師が主導権を握ってお産をしていたのを見てきた」という話を聞くことができた。その助産師は徳島市在住の増井城江助産師(1925[大正14]年5月生,87歳)で,今も健在であることを知り,2011(平成23)年4月と5月に聞き取り調査をさせていただいた。
お産が病院化され,多くの助産師が助産師本来の姿を忘れかけている今,母子の「いのち」を守ることに「こだわり」を持ち続けて生き抜いてこられた助産師を知ることは,助産師本来の姿がイメージでき,これからの助産師としての生き方に示唆を得ることができる。また,助産師自身がほれる助産師に出会うことは,助産師として生きる力をみなぎらせることができると考え,増井助産師の活動を語りから紹介することにした。
なお語りには,対象者の時代が反映されており,また臨場感を出すため,名称や語りはできるだけそのまま表現している。
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