グラフ 看護の跡をたずねて・4
マカオの城と天主堂跡
石原 明
1
1横浜市立大
pp.80
発行日 1967年8月1日
Published Date 1967/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913250
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ポルトガル領マカオのほぼ中央部にあるモンテの城跡と聖ポール天主堂の跡は,観光客が必ず訪れるところであるが,看護史にも医学史にも深いつながりのあることを知る人ははとんどない。
モンテの城は,上に登ってみると300年前の世にもどったような錯覚にとらわれる。下から見た石垣はどこか日本風のところがあるのも道理、,石組みはわが国の築城法を用いている。聖ポール天主堂はそのすぐ西の丘の上に,今は正面の石造部だけを残している。この教会は伝説では天草の乱の残党が海を渡って逃れてきて建設したといわれ,礎石に1602と刻まれているが,実際は1637年につくられた。日本人の手になることは明らかで,3階の左の船のレリーフのとなりに漢字がいくつか残っていて判読できる。この教会はマカオ最大のもので隆盛を誇ったが,1835年の快晴のある日,突如として落雷のため一瞬のうちに焼け落ち,正面だけが残ったのだという。それは堕落した修道者の不義に天の神が制裁を下したと信じられている。近くにあった尼僧の修道院と地下道を通じて密会したためである。
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