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岡村 昭彦
pp.812-819
発行日 1983年12月25日
Published Date 1983/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907914
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漁村・舞阪に1983年の春がやってきた
2回目の海外取材の日が迫ってきた.浜名湖畔にある私の書斎の2階から見える中洲いっぱいに張られたノリ網には,もう小船を寄せる漁師の姿もめっきり減り,彼らは3月から始まるシラス漁の準備に忙しかった.
大晦日まで徹夜でむいた養殖のカキは,卵を孕(はら)んで肥え太り,地元ではもらい手も少ない.春がやってきたのである.例年,決まって訪れる舞阪の春は,まず下顎が上顎より伸び,嘴のようになった‘細魚’(サヨリ)漁からはじまる.あの透き通るような青白い刺し身が食卓にのぼると,すぐその後を追って春一番が温かい湿った南風を運んでくる.昔は,遠州灘から浜名湖に産卵に来るサヨリを待ち,湖内で捕えたため,春一番のあとにサヨリは食卓に並んだものだが,今では産卵に浜名湖に入る以前に遠州灘の沖合で捕えてしまうために,サヨリ漁は春一番より早くなった.どちらにしても,春一番が吹けば,その年のノリの収穫は終わりだ.日1日と水温は温まってくる.ノリは水温が13度以上になれば腐って流れ,駿河湾に産卵したイワシの卵は,16度を越えなければシラスの大群となって遠州灘を東に向かうことはない.
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