自己自身として生きるために/人間学的断想・9
性と愛と
谷口 隆之助
1
1元:八代学院大学
pp.193-197
発行日 1977年3月25日
Published Date 1977/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907080
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
人間における性
現在,一方においては‘性の解放’が叫ばれ,また他方においては‘性の乱れ’が指弾されている.そして一方においては性の解放の主張があたかも男女平等の主張であるかのように取りあげられ,また他方においては性の乱れが人間を外側から律する道徳的組織の崩壊また欠如と同一視されるのである.そして,そこにさまざまの空虚な論議が展開される.それらの論議が空虚だというのは,そこでは性が生きた人間から抽象されたただ性という一般的現象としてしか見られておらず,‘人間における性的欲求’というその具体性においては少しも取りあげられてはいないからである.
人間が抽象化の能力をもつゆえにこそしばしばおちいる根本の錯覚は,性的欲求であれまた他のさまざまの欲求であれ,それをひとりひとりの生きたひとにおいて働いている欲求として見ることを忘れ.それらの欲求があたかも個人を離れて独自にそれぞれの欲求自体として働いているかのように見,また考えてしまうところにある,と言ってよい.卑近な例で言えば,たとえば現代のいわゆる‘性教育’にも,そのことははっきりとあらわれている.現代の性教育の根本の欠陥は,ただ性に関する一般的な知識を教えることにだけとどまり,ひとりひとりの個人が自分白身における性を,また性的欲求を,どのように引き受けて生きようとするか,ということには少しも触れようとしないところにある,と言いうるであろう.
Copyright © 1977, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.