教育思潮
‘すぐ役に立つ教育’論の検討
山崎 昌甫
1
1和光大学人文学部・人間関係学科
pp.456-460
発行日 1976年7月25日
Published Date 1976/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907009
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Ⅰ‘すぐ役に立つ教育’論批判
看護教育,なかんずく高校衛生看護科の教育に対する看護現場の批判は,それが‘すぐ役に立つ教育になっていない’という一語に尽きる,といっても過言ではないだろう.ここで,‘すぐ役に立つ教育’は,‘すぐ役に立たなくなる教育以外の何物でもない’という上記めような批判に対する一般的で単純な反批判を述べようとは思わない.なぜこのように‘すぐ役に立つ教育’に対する期待が強いのか,‘すぐ役に立つ教育’論は本来誤りなのかを検討することの方が急務だろう.そこから学校形態をとる養成機関での教育のあり方の展望ができるのではないだろうか.
‘すぐ役に立つ教育’に対する強い期待は看護現場の看護職者数の絶対的不足と,それに対する急速かつ大量な‘有資格’看護婦,准看護婦養成政策(看護労働力の供給政策といってもよい)との矛盾からきている,といっていいだろう.しかも,急速・大量に供給された労働力の量は,絶対的不足という事態を解消するにはほど遠いこと,そして,労働力の質が,急速・大量に育成されたためにかえって‘足手まとい’になる,という現実があるからであろう.ことさら書きたてるまでもなく,看護婦は‘傷病者若しくはじょく婦に対する療養上の世話又は診療の補助’ができるものであり,准看護婦は,‘医師,歯科医師又は看護婦の指示を受けて’,‘療養上の世話又は診療の補助’ができるものであるはずである.
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