——
看護の暗黒時代現代版から主体性のある看護に
山口 貴美子
1
1市川市医師会付属准看護婦学校
pp.242-244
発行日 1975年4月25日
Published Date 1975/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906878
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
戦後の新制度と准看制度の矛盾
戦後の看護教育機構の改革は,看護教育界の革命と言っても言いすぎでないほどはなはだしいものであった.アメリカの占領政策のひとつであったにしても,それは看護界に希望と新しい風を吹き込み,若い世代の心をつかんだことは事実である.高校卒3年の養成機関の設置は,看護教育がその線を基準にして,将来も1本化した形で確立し得るものと信じていたのである.それが間もなく幻想にすぎなかったことを知らされた.看護界の必死の抵抗にもかかわらず,昭和26年准看制度の設立,その後,年を経るごとにその教育機構は多様化への道を急速にたどっていったのである.
准看制度が出来た当時は,その経済的な効用性と需要に対する供給の必然性等々,医師会を中心に強固に主張され成立したことは,今さらここで述べる必要もない周知の事実である.
Copyright © 1975, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.