私の発言
1人の看護教師が歩いた道
桑野 タイ子
1
1埼玉県立厚生専門学院看護婦科
pp.129-133
発行日 1975年3月25日
Published Date 1975/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906863
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看護学校の教師生活が20余年になる.敗戦後,保助看法の制定と時を同じくして看護教育をうけ,卒業して間もなく看護教育に携わり,保健婦学校,公衆衛生院の1年コース受講をはさみ,幾度か職場を転退職しているが,今日まで看護学校の教師をしてきた.この長年月を振り返ってみて,自分の手中にしかと手ごたえのあるものはなんなのだろうか.あらためて問い直してみたいと思うのである.
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