教育の眼
付き合いとしての教育
佐藤 忠男
pp.357-362
発行日 1974年5月25日
Published Date 1974/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906778
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私は,文章を書くことで生活するようになった初めのころ,まだ原稿の注文が少なくて生活が不安だったので,注文さえあれば大抵の種類の原稿は引き受けて書きたいと思っていたが,せっかく注文があってもどうしても書けない種類のものがあって困ったものであった.それは,いわゆる人生雑誌からの人生論の注文であった.
私がそれを書けなかったのは,私が人生論というものを軽蔑していたからではない.人生雑誌の読者の多くは,いわゆる勤労青少年である.それらの雑誌の編集者たちは,私が文筆生活を始めるまでは工場労働者であったことを知っていて,それなら,勤労青少年であるところの読者たちに,先輩として良い忠告を与えることができるだろうと目星をつけて私に注文をよこすのだった.そして,そのねらいが分かるために,私の筆はすくんでしまうのだった.
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